MAROONのなんでも diary

MAROONの身の回りの諸々を雑多に書き連ねている日記です。(はてな日記からの移行です)

『チャンス』 10:00

高槻アレックスシネマ スクリーンにて。【午前十時の映画祭9】での上映です。
1979年アメリカ映画。
原題:Being there
監督:ハル・アシュビー/出演:ピーター・セラーズ(チャンス)、シャーリー・マクレーン(イヴ)、メルヴィン・ダグラス(ベンジャミン)、ジャック・ウォーデン(大統領)、リチャード・ダイサート(ロバート医師)、リチャード・ベイスハート(ウラジミール)、他。
長年屋敷で庭師を務めてきた男が屋敷の主の死をきっかけに世間に出て、様々な偶然に翻弄されながらも大統領(候補?)にまでなる、という現代のお伽噺です。
Wikipedia には『コメディ』と書かれていましたが、教育も受けることができず、無学文盲のままで庭師として数十年間働かされてきた主人公を笑いのネタにするというのは現代の感覚では厳しいものがあります(児童虐待&奴隷労働?)。屋敷を出たチャンスがランドの屋敷に運ばれて、見舞いに来た大統領と話す辺りまではまだしも、それ以後の政治的な話題についてはまったく笑えませんでした。
【追記】Wikipedia によれば、「ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を下敷きにしたジャージ・コジンスキー原作・脚色のコメディー映画。愚者が山から下り教師となって、エンディングではツァラトゥストラに則り超人となってしまう。そんな主人公を取り巻く人々の姿を20世紀後半のワシントンD.C.を舞台に活写した。」とされています。
まさか、元ネタがニーチェとは知りませんでした。
【余談】海外の映画ではよく主人公の名前をタイトルにした作品がありますが、日本では内容が分かりやすいように修飾語を付けたり、まったく別のタイトルを付けることがあります。これも主人公の名前をタイトルにしたのを、珍しくそのまま邦題にしたのか、と思ったら原題は「Being there」と全然別ものでした。邦題は主人公の名前と機会を意味するチャンスとかけて名付けたんですかね?(謎)
【余談2】ワシントンの屋敷内で暮らしてきた主人公を英国人のピーター・セラーズにキャスティングしたのはなぜでしょう?
【余談3】チャンスが長年庭師として働いていた家を出る場面では交響詩ツァラトストラはかく語りき」が流れますが、これって「2001年宇宙の旅」(ヒトザルが骨を武器として使用することに目覚めたシーン)からの引用ですかね?