http://www.asahi.com/culture/update/0804/OSK201108040109.html
戦国時代が終わり、織田信長を倒して天下をとった明智光秀が、羽柴(豊臣)秀吉と戦った山崎の合戦。その舞台となった京都府長岡京市で当時の大規模な堀跡が見つかったと、市埋蔵文化財センターが4日、発表した。光秀が秀吉軍を迎え撃つために掘った防御用とみられ、すぐそばには陣地を築いたような跡もあることから、同センターは光秀の本陣跡がほぼ確実になったとみている。
う〜ん、胡散臭い記事だなぁ(*_*)☆\バキッ 「天下を取った明智光秀」ってダウトだし、この堀跡が山崎の合戦の際に掘られたという根拠が不明ですからねぇ・・・。
山崎の合戦で秀吉軍と明智軍がどこで衝突するかは分かっていなかった(光秀も天王山を抑えようとしていたが、抑えていたら迎撃地点も変わっていたはず)のに、この場所に急造とはいえ堀を作っているひまなど無かったと思います。