MAROONのなんでも diary

MAROONの身の回りの諸々を雑多に書き連ねている日記です。(はてな日記からの移行です)

ウォーキング

軍行橋を渡り、西国街道の場所まで南へ進みます。軍行橋水位流量観測所の横に石碑が見えたので、堤を降りると道路沿いの一角に国有地を市が借用して管理している標識があり、そこには3つの石碑が・・・。その一つが「新建石橋碑」です。
近代まで橋が無かった猪名川に橋をかけた記念碑でしょうか? 文面が読めないのでよく分かりません(^_^;)。調べたところ、どうもそうではなく、橋を架けて旅人の苦労を取り除きたいということのようです。年号部分のほか何箇所かが故意に削り取られているようですが、何があったんでしょうね?
堤防沿いの道路から信号のところで分岐しているのが旧西国街道です。すぐに西国街道を示す案内の碑がありました。
猪名川西岸の案内石碑
猪名川西岸は工場や倉庫などが多いのですが、この碑の対面には HIRO Coffee のカフェがあり、結構流行っているようで、駐車場に出入りする車を整理する係員が配置されていました。確かにこの場所だとクルマ以外の足が無いですからね。
JR宝塚線の踏切を渡り、駄六川を越えると多田方面に通じていた街道と交差している箇所に小さな広場と四阿が設けられています。
多田街道との交点に設けられた四阿
ここから多田街道を少し南に歩くと水車小屋が再現されていたりしますが、それは前に見たのでパスします。
産業道路を渡ると伊丹大地に登る坂があります。これが伊丹坂だそうです。ただ、案内板の説明のような「西に向かう旅人にはきつい坂」とは思えないんですが・・・。
和泉式部の墓
伊丹坂を登り、旧西国街道の案内板にしたがって南に100メートルほど進むと、目立つ表示板がありますが、その下は八幡神社跡という空き地で駐車場?のようです。伊勢式部の墓は?と思って探すと・・・道をはさんで北東側の狭い敷地に小さな祠に収められた伝和泉式部の墓(一部欠損)がありました。