MAROONのなんでも diary

MAROONの身の回りの諸々を雑多に書き連ねている日記です。(はてな日記からの移行です)

1月30日の行程(3)

昼食を済ませてマクドを出ると、西国街道を進むため、国道171号を少し南に下り、さっきの久世殿城交差点まで戻ります。
ここから再び西国街道を進みますが、すぐ左手に厳島神社の鳥居が見えました。細長い境内(参道?)を進み、先ほどのマクドよりも北に進んだところにひっそりと佇む厳島神社がありました。
境内の説明文にも海から離れたこの地になぜ厳島神社が?のようなことが書かれていましたが、淀川水運は昔から盛んなので、それとの絡みで勧請されたものではないかと思うのですが・・・。
西国街道に戻り、北東に進むと桂川にでます。車道はスロープを登って堤防上に進みますが、旧街道はそのすぐ西側の道と思われ、何度も見かけた愛宕山大権現の灯籠や古い民家があることからも間違いないと思います。ただし、この先で国道171号にぶつかったところで、進めなくなります。地図を見ると国道の北側にも道が繋がっていて、現在の久世橋の少し北側で桂川に出るようになっているので、昔はここで渡河していたものと思います。現在ではそこは渡れないので(^_^;)、久世橋を渡ります。北側に久世橋(京都市中心部行き)、南側に車線を増やすために架けられた新久世橋(大阪方面行き)とがありますが、河川敷側の歩道で橋をくぐり、北側の久世橋側に出ます。上流側の景色を眺めながら久世橋を渡るとすぐ左手に嵐山に向かう自転車道路と並行して旧西国街道があります。この先にも愛宕山大権現の灯籠が確認できます。
この先、吉祥院運動公園の横を通り、国道171号(葛野大路)に出ます。これを渡り、再び北東に進みます。京都市内中心部は基本的に東西南北に道路が走っていますが、このあたりは旧西国街道があった関係かどうか、斜めの道(南西から北東方向に通じる道路)が今もたくさん残っています。
ただし、葛野大路を越えてからは旧街道を示すような痕跡がほとんど見られなくなりました。石材店さんが店の前に「西国街道」と刻んだ石を置いたりしている例や、西大路通を渡る交差点の歩道橋に「西大路西国街道」と表示されているぐらいでした。やはり、早くから市街地化が進んだせいでしょうかね。
どんどん進んで東西に走る国道171号(九条通)に出たところが九条御前交差点です。ここからは九条通を東に進みます。少し行くと、左側に地蔵堂があります。矢取地蔵といい、空海師の身代わりになったという伝承があるそうです。目的の羅城門はその北側にありますが、現在では小さな公園の一角にポツンと「羅城門遺址」の碑が立っているだけです。(終わり)