旧西国街道の十日市町の四辻に道標がありますが、北の方は「石川」と書いてあります。石川ってどこでしょうね?
とりあえず、ここで北に折れて安威に向かいますが、300メートルほどで府道46号に合流します。さらに200メートル先で左に折れて、少し先の農道を北に折れて進むと安威の集落に着きます。このあたり一帯が高台になっていて昔お城があったことが偲ばれます。
ただし、安威城の遺構は残っていないようで、石碑と説明板だけが「天王文庫」という建物の前に立っています。
往時の外郭は今も竹藪などとして残っているそうですが、だとすると南側の竹藪に隣接した工場の敷地の石積みは当時の名残?
安威城跡の石碑
藤原鎌足の墓?/安威城跡の碑の近くで見つけました。左の石碑には「右 鎌足公古廟」と刻まれています。なぜこんな場所に・・・。
【追記】Wikipedia で調べたところ・・・
- 日本書紀』によると644年(皇極天皇3年)に中臣氏の家業であった祭官につくことを求められたが、鎌足は固辞して摂津国三島の別邸に退いた。
- 正確な位置は不明ですが三島には縁があったようです。
- 平安時代中ごろ成立と見られる『多武峯略記』などに「最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が見える。
- 昭和9年(1934年)に大阪府茨木市大字安威の阿武山古墳の発掘中に発見された埋葬人骨は藤原鎌足本人であるとする説も存在する。
などの記述がありました。