MAROONのなんでも diary

MAROONの身の回りの諸々を雑多に書き連ねている日記です。(はてな日記からの移行です)

字体論

を書き出すとそれで何冊も本が出来ると思いますが、σ(^_^)も素人なりに考えていることがあります。まず、上に書いた旧字体新字体というのは社会一般に使用されているものなので、深い意味はありません。その点はご了承ください>あすてりさん
字体の異同に関しては、

  1. 本字(=中国の繁体字に近いもの)と略字(主に戦後日本で省略体を「当用漢字」の名で正と認めたもの) → 俗に旧字はこの本字を指す
  2. 異体字(新旧ではなく従来から書き手による差異が許容されてきたもの) *1

大きく分けるとこの二つだと思います。なお、異体字にはもっと微妙な違い(葛飾の「葛」の下の中の部分を「人」と書く、など)もあります。
問題を複雑にしているのは字体の違いを許容するかどうかを外的要因で制限するケースがあることです。
字体を制限するものとしては、

  1. 法的な制限
  2. その他任意団体の取り決めによる制限
  3. 活字化したことによる制限
  4. コンピュータなどのシステムでの取り扱い上の制限

などがあります。今回、「宮崎あおい」さんの「崎」を正しく「粼」と書いた場合にザウルスでトーフ(□)になったというのは 4. の事例ですね。これはある程度仕方がないことだとは思います。
1. の法的な制限は現時点では出生届の際の名前に使用する漢字くらいだと思います。ただ、これも不思議なもので、昔届け出た時に本字(たとえば「澤」など)で届け出ていれば苗字に関しては今でも「澤」の字で届出が出来ますが、下の名前に関してはいわゆる旧字体での届出は受け付けてもらえません。なお、苗字に関しても戸籍上本字でも新たに結婚などで別に戸籍を設ける際には略字で届け出ることも可能なようです。ただ、いったん略字で届け出たものをその後本字に戻すことは出来ないとか。
3. の活字化したことの制限は異体字の中でも特に微妙な書き方の違い(上で挙げた「葛」の事例など)が大半です。似た字体に関してすべて活字をそろえることが困難なので、異体字は活字化の際にかなり整理されました。
個人的に一番問題だと思うのは 2. の事例です。新聞社が勝手に基準を定めて固有名詞の書き換えという個人の尊厳に係る暴挙を行なっています。元大関若嶋津のことを若島津と書いていたなど数え上げたらきりがありません。
【余談】作曲家の故團伊玖磨さんは非常に厳しい方で表書きに「団伊玖磨」とある郵便物はすべて「自分宛ではない」として開封せずに捨てていたそうです。

*1:たとえば、島と嶋、峰と峯、など